横山町馬喰町街づくり株式会社

※商住:物つくりや広義のクリエーションを誘致するという意図で、あえて小さい「」の字としています。

横山町馬喰町街づくり株式会社

デザインコードの適応区域(平成28年12月20日制定)

問屋街のはじまり

江戸時代から商人の街として知られる横山町。そのルーツは江戸時代初期、横山町の大層を占めていた寺(築地に移転した西本願寺もありました)が明暦の大火(1657年1月に江戸市街の大半を焼いた大火事)の後に浅草他に移転し、その跡地に商家が開かれたことに遡ります。

明暦の大火後の復興計画の一環で、横山町の中央を通る奥州街道(本町通り)は江戸のメインストリートとして幅7間(13.8㍍)に広げられ、両国橋の袂の中央区側には、後に江戸一番の繁華街と称される両国広小路が設けられ商業が活発になりました。

横山町も、和装小物、薬種、書物などの各種問屋が軒を並べ、堀留と並ぶ江戸の代表的な問屋街となっていきます。

その発展には馬喰町も欠かせない存在でした。

馬喰町は当時、公用馬の確保のための馬場が設けられた旅宿の町。馬喰町に宿泊して横山町の問屋街でじっくり品物を選ぶという流れができ、地方からの集客がうまく進んでいったのです。その後、交通網の発達により馬喰町にも問屋街がのびていきました。

昭和初期の大恐慌時に現金問屋が誕生。主に繊維を中心とする問屋が主流となり、現在では日本最大級のファッション問屋街として、1690年創業の老舗から、事業をはじめたばかりの新店まで切磋琢磨しています。

明治から大正時代の問屋街

↑明治末から大正にかけて(およそ1900年前後)の問屋街の一部と推定。当時はまだ座売り方式の店舗が多く、商品は土蔵の中に積まれ、少量の見本を店の奥で見てもらう形式。といってもほとんどが出張販売を行い、風呂敷に見本を包んで得意先をまわっていたようです。

設立に至る経緯・趣旨

不動産市況の変化

当問屋街は純商業地域として繁栄を謳歌してきましたが、1993年に大型マンションの建設が突如として持ち上がり、地域関連問屋団体と横山町町会は街の将来を見据え、中央区の指導の下、街づくり協議会を結成。「問屋街の1階は店舗とする」との街づくりルールが制定されました。

地域の人たちが集まった街づくり会議

地域の人たちが集まった街づくり会議(2016.01.15)

日銀による異次元緩和の副作用や2020年の東京オリンピック・パラリンピックをにらみ、2015年末頃から当問屋街地区に再びマンション、ホテル建設が始まり中堅問屋の廃業も見られるようになりました。

この動きが本質的なものか見極めるべく、横山町奉仕会・(協)東京問屋連盟が結成する問屋街活性化委員会(会長:宮入正英)では、東京商工会議所の御協力をえて、「問屋街の実態調査」並びに「お客様の実態調査」を2年がかりで実施しました。

日本橋問屋街 街づくりビジョン

上記調査結果を踏まえ、日本橋横山町・日本橋馬喰町界隈を中心とした「問屋街とその周辺地域が、中期的に目指すべき街の姿が何か」を問屋街一人一人の思いと専門家の英知を結集し、策定し、2016年6月17日制定されたのが「豊かなライフスタイルを創造し進化し続ける問屋を核とした商住混在都心」日本橋問屋街 街づくりビジョンです。

このビジョンは、問屋街活性化委員会傘下の155社が、15回のタウンミーティングを経てとりまとめたものです。そこでは個々の商売の方向性から街のあり方まで、ハード、ソフト両面に渡り様々な議論が交わされました。

ただ街の姿を維持すれば良いのではなく、将来に渡りお客様に支持され続けるためには何をすべきなのか、他の街と差別化し他にはない魅力を持ち続けるためには何をすべきなのか。そのような議論の結果、
1.「良質な住」は受け入れよう
2.過去の歴史に鑑み、ファッションより広義には、「ライフスタイルを創造し進化し続ける街」としよう
3.そして、他の街との差別化として「問屋」を核とした街にしていこう
というビジョンを決定。

本地域には江戸時代から続くライフスタイルを核とした問屋のDNA、そして人、もの、情報が全国各地より集まり、交わり、新たな商い、文化を創造、発信し続けた江戸・日本橋のDNAが存在します。このDNAを継承し、進化させていくことでユニークで質の高いライフスタイルを創造し、楽しみ続けることのできる、他に類の無い問屋を核とした商住混在型のまちの実現を目指します。

街づくりビジョンで示されたまちの特徴は、横山町大通りを中心とした「ディープ問屋街」、その周囲に位置する「住混在商業エリア」、さらにその外側に広がる「商業隣接都市型居住エリア」という3つの異なる性格を持つエリアにより構成されているという点です。

デザインコードの策定とデザイン協議会の指定

この問屋街ビジョンをハードの面から実効あらしめるために、デザインコードの策定が次の課題となりました。ただし、街づくりは活性化委員会所属の問屋だけが決めるものではない、とのことから問屋150余社に加え町会50社余、計205社で勉強会と意見交換会を開催し、町会+問屋街活性化委員会共催の総会にて2016年12月20日、街づくりビジョンを実現させるためのデザインコードを制定。

この結果を踏まえ、中央区市街地開発事業指導要綱に基づき中央区にデザイン協議会の申請を行い、2016年12月28日付けで日本橋横山町、日本橋馬喰町1丁目、東日本橋3丁目の各一部を対象とした日本橋問屋街デザイン協議会の指定を区から受けました。

これにより、協議対象となる区域に建築物や工作物の計画を行う開発業者は、確認申請等の手続き前にデザイン協議会と計画内容についての開発協議を行うことが求められることとなりました。

街づくり会社の設立

デザイン協議会の運営や各種街の活性化を行う組織として、2017年4月3日、横山町町会、横山町奉仕会、(協)東京問屋連盟、(株)横山町奉仕会館は「横山町馬喰町街づくり株式会社」を設立。

エリア内で発生する建築等の行為に、街づくりの観点から計画内容を審査し、必要に応じて修正等を要請していきます。

横山町馬喰町街づくり株式会社
役 員

代表取締役社長宮入正英横山町奉仕会会長
取締役岩田 博(株)横山町奉仕会館社長・横山町町会会長
取締役相川 浩(協)東京問屋連盟理事長
執行役員細谷昌宏横山町奉仕会副会長
執行役員鳥山博司横山町奉仕会副会長
執行役員中村雅昭(協)東京問屋連盟副理事長
監査役斎藤裕文社会福祉法人中央区社会福祉協議会事務局長

(2018年5月17日現在)

お問い合わせ

横山町馬喰町街づくり株式会社事務局:横山町奉仕会(担当:齋藤)

〒103-0003中央区日本橋横山町5-8横山町奉仕会館3階

電話番号:03-3661-1661 ※月~金曜日10~16時まで